「アメリカ医療録(その2)」 2007/01/10
やっと整形外科病棟に移され、一人のナースが付いて、あれこれとチェックやケアをしてくれ始めました。ERで何度もチェックされたことを、ダブルチェックどころかトリプル以上のチェックとばかりに、同じことを病棟でもチェックされました。氏名、住所、身長、体重などもです。医療においてミスは許されないので、ここまでダブルチェックを徹底されると鬱陶しいを通り越して感心させられる一方で、病院内での横の連携がなく縦割り業務のため、ERから病棟に移ってしまうと何の情報もなくまた一から聴取し直しているだけかもと疑いたくなります。
アメリカでナースになるには、日本よりも学力が必要で、ナースになってからも医師と同じように麻酔専門や疼痛管理専門などといった専門分野を取得できるようになっています。そのため、日本のナースと違い、日本では医師にしか認められていない医療行為が、アメリカの専門ナースには認められています。今回、病棟で担当してくれたナースも、血液検査結果の説明など日本では医師にしか認められないことを行なってくれました。この辺りもアメリカならではだと思います。
整形外科病棟に入ったときは、すでに午後2時になっており、疼痛は限界に達していました。担当の整形外科医が、ペインドクター(ペインpainとは、疼痛という意味で、疼痛管理専門の医師ということです)に依頼し、苦痛から開放されるようにしてくれました。点滴のルート脇から痛み止めの薬剤を血管内に入れるのですが、その薬剤は器械に接続されていて患者が痛いと感じて器械のボタンを押せば、痛み止めが流されるという方法になっています。頻繁に押すことで、薬剤が過投与にならないように、一旦ボタンを押してから10分間は再度ボタンを押しても薬剤は流れないように設定されています。疼痛のケアをするためだけの専門医がいることに驚きましたが、さらに驚いたのは、たかが骨折の疼痛に対して麻薬系の薬剤を使用したことでした。日本では、麻酔のときや、大変大きな手術で術後の疼痛があまりにも苦痛と考えられる際、癌の患者さんの疼痛管理ぐらいのときにしか使用することはありません。ここでも、日本との違いをみることができました。
手術は午後5時からの予定でしたが、ひどい外傷を受けた交通事故の患者が運び込まれたようで、先にそちらの緊急手術をすることとなり、私が手術室へ移動したのは午後10時過ぎになってしまっていました。病室を出るときに、ナースがコンタクトレンズを外すこと入れ歯ではないかの確認(んなわけ、ないだろ)をして、手術室へ見送ります(全身麻酔ですから、コンタクトによる角膜への影響や、気管挿管するときに入れ歯などが邪魔にならないように事前チェックする)。ここでも、余分な人件費をかけれない日本の病院との違いがあり、ベッドを移動するためだけのスタッフが移送してくれました。大抵の日本の病院では、この役目もナースが行なわなければなりません。手術室に入ってからも、再度手術室のナースにコンタクトレンズを外しているかのチェックと入れ歯ではないか(もう一回、んなわけないだろ)の確認をされました。やはり徹底したルーチンワークとダブルチェックです。違う患者を手術してしまわないように、名前と手首につけた名札のチェック、そして、医師がケガをしているほうの右脚に、間違えることのないようにマジックでマークをつけました。日本でも、ここ数年で医療ミスが大きくメディアで取り上げられるようになり、やっとこういった基本中の基本の確認事項が行なわれるようになってきましたが、ミスを防ぐためのダブルチェックが意外といいかげんであることは否定できません。ちょっとしたことですぐに訴えられるアメリカだからなのか、教育のなかで基本事項を徹底的に繰り返し行ない、プロとしての業務にプロ意識と責任を植え付けるアメリカ教育だからなのか、教育されなくてもアメリカ人は仕事に対するプロ意識が高いのか、こういった当たり前のルーチンワークをこの日は何度も見せられました。大ケガをしておいて、自分のことだけ心配してろって感じなのですが、ついついいろんなことを観察してしまいます。
早朝から長時間待たされましたが、やっと手術です。全身麻酔で寝かされてからは当然ですが全く記憶になく、覚えているのは全身麻酔のため気管に挿入していたチューブを抜くときでしょう、夢のなかでオエっとなって、目が覚めたことだけです。目が覚めると、友人がベッド脇に居てくれていました。無事終了したようで、チラッと壁時計に目をやると午前0時半でした。ということは、おそらく実際の執刀から終了までは2時間以内でしょうから、手術は順調にうまくいったのだと確信しました。
競技前は、3〜4時間前に食事を済ませておく必要があるため、午前5時スタートのホノルルマラソンでは、早めに寝て午前1時頃に起きます。ということは、起きてからスタートを切り、アクシデントから手術終了まで、ほぼ24時間だったわけです。リアルタイムで起きた私の24(トゥエンティーフォー)がやっと終わりました。
翌朝というか、手術終了時に日は変わっていましたので、その日の朝、ペコちゃん医師が現れて手術はうまくいったと報告してくれました。このときもレントゲンを見ることは出来なかったのですが、帰国してから自分で撮影する楽しみとしました。術後も当然痛いのですが、この日のうちに退院してしまわないと予定通りに帰国できません。夕方に友人に迎えに来てもらうことにしたので、早速朝から理学療法士(PT)とともに松葉杖での歩行練習を行なうことになりました。骨内にも血流はあるので、骨が折れると出血もします。大腿骨からの出血量は結構多いので、貧血と鎮痛剤に麻薬を使用されているのも合わさって、クラクラしながらのリハビリとなりました。その後、夕方までの間に、ERに入ったときのような事務手続きやまたまた保険の確認のために、何人もの事務系の人間が現れました。事務系の人だけでなく、折れている側の脚が術後しばらくは曲げづらいので、衣服を脱いだり着たりに役立つ変てこな道具を売りに来た者もいたりと、保険が下りるなら稼ぐだけ稼いでやれというのは日本と変わりません。当然、そんなものいらないと帰しましたが。もう一つ日本と同じだと感じたのは、病棟に何人の患者がいるかは分かりませんでしたが、自分が観察したかぎりでは、たった一人のナースが病棟全部を切り盛りしており、忙しく大変そうでした。医療資格を持たない雑用のスタッフはいっぱいいるが、給料の高い医療資格保持者は最小限に抑えて病院経営をやりくりしなければならないのは、世界共通のようです。アメリカの病院は、雑用スタッフが多いばかりで連携がなく無駄だらけだと感じたのは、ERに運ばれてきたときだけでなく、病棟でも退院直前まで感じさせられました。さっきの事務員に言っただろってことが、伝わっていなかったりの連続で、最後の最後までゴタゴタしたのは手術を実際に行なったドクターに診断書を発行してもらうことでした。事務員、秘書、看護助手、誰に言ってもドクターにきちんと伝わっていなかったようで、やっと手術をしてくれたドクターが現れても診断書の件どころか、今から退院することも知らなかった様子。結局、役立たずな事務職員とは大違いに最後まで一生懸命に段取りをしてくれたのは、忙しいのに親身に患者に接してくれたナースでした。このゴタゴタで感じたのは、職員が非常にドクターと連絡を取りにくい環境にあるということでした。しかも、看護助手が言ったことで驚いたのは、「私は直接ドクターと話すことが許されていないから、ナースに伝えてナースからドクターに言ってもらうようにするね」ということでした。結局ナースにきちんと伝わっていなかったのですが、アメリカのドクターの地位の高さはすごいですね。
大変なアクシデントでしたが、一日でみっちりアメリカの医療を見学することができ、いい経験ができたとプラスに捉えています。ていうか、そうでも考えないとかなり気が滅入ります(笑)。
それでは、リハビリ日記も今後掲載する予定ですので、実際同じようなケガをされた方(大腿骨骨折って、交通事故でぐらいしか普通起きないですがね(笑))や箕クリの勉強会に参加されているトレーナーの方、骨折後のリハビリというのはどのように進めていくのか、このHPでお勉強してください。お楽しみに。

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