「頑張ろう大人」 2006/10/02
団塊の世代が定年退職を迎える2007年がやってくる。メディアは彼らをまるで邪魔者のように論評を行うが、彼らこそが日本を経済大国にしてくれた功労者である(厳密にはプレ団塊の世代が最も高度成長を支えた世代ではあるが)。しかし、功労者は額に汗水たらして働いてくれた民間のお父さん達であり、国の借金を800兆円にまで増やしておいて特殊法人や独立行政法人(特殊法人から民営化されたといえど、立派な天下り先なのだから何ら変わっちゃいない)に天下っていく官僚のオジサン達は立派な犯罪者である。そして、その犯罪者たちに国政を任せ、自ら法案を作ることの出来ない能無し政治家たちと、そこにお金という媒体で寄生虫のように群がり国をおかしな方向に導いた企業も同じく犯罪者である。この世代は突出を嫌い、横並びで同じことを行なっていれば間違いなしという仲間意識が強いなどと揶揄されるが、逆に言えば皆で一緒になって学生運動などを行えるほど活気があった世代だ。いまやこの国と国民は豊かになりすぎてボケてしまったのか、談合、裏金流用、年金問題等々、お上の悪行も「またか」と麻痺してしまっていて運動を起こす活気もない。団塊の世代は均一であることを好むとバカにするメディアこそ、他のメディアと同じような報道ばかりで実にくだらん。くだらんメディアはくだらん女子アナの宝庫で、おバカな女子アナは「団塊の世代」を「ダンコンの世代」と読んでしまう始末。どうぞ深夜のバラエティーだけやっておくか、さっさと野球選手と結婚して画面から消えて下さいといったところだ。

結局メディアに代表されるように、皆と同じであれば・・・、というのは団塊の世代に限らず現在もそうで、自分なりの考えで責任を持って自分なりの行動をする教育がなされてこなかった結果なのだろうか。団塊の世代は、年功序列と終身雇用の時代、皆同じに一生懸命つめ込み学習でいい大学に入っていい企業に就職すれば確実という教育。いまや終身雇用は崩れその意味がなくなり、個性を伸ばすためにゆとり教育をなどというものの、自ら考えることができない平和ボケの者たちにゆとりを与えた結果がニートなのだ。しつけと体罰の違いをはっきりさせることができず、生徒への愛と自らの責任でゲンコツというしつけの一つもできない教師に教育を受けているのだから、責任を持って何かを起こす者が育たないのは仕方がないか。自由を与えることと甘やかすことを履き違えている親が、ちょっとでも小突くとガミガミ言うのだから先生たちもかわいそうなものだ。黒板の指示棒でたたく先生、出席簿で思いっきり脳天から叩く先生、往復ビンタの先生、両コブシでこめかみをグリグリする先生、それぞれに○○スペシャルなどと名前が付いていて、各先生の名物になっていたのだが、残念なことに私の母校でも今や姿を消してしまったらしい。
家でも学校でもしつけができないのなら、自衛隊をいいかげん軍隊と認めて徴兵制でガンガン鍛えてもらうしかないのかも。そうでもしてぶん殴られことを覚えないと、今の若者はすぐに人を殺してしまいますから。

もう古い本だが、小沢一郎の著書「日本改造計画」(実は官僚がゴーストライターとの噂も)の前書きは、グランドキャニオンには柵がないという内容で始まる。規制を撤廃して、自己の責任のもと自分で考え行動しなければならないことを言っているのだが、それが今の多くの日本人には出来ないことを中田英寿以外のサッカー日本代表が見事に示してくれた。トップアスリートといえど、多くは他の選手と同じようにスポーツの強い学校に行って、その後気がついたらお金をもらえるようになっていた程度。目的を達成するために、何が欠けていて何が必要で何を行なえばいいか、考えてそれを実行に移して責任を持って結果を出すトップアスリートは一握りに過ぎない。だから、アスリートのエリート街道で全日本に選ばれましたという意識レベルの選手と世界で勝つためにはと考えるプロフェッショナリズムの高い選手とでは大きな隔たりがあるのだ。我々医者も同じで、医学部に行ける偏差値だったから医学部を受けてみました。そのまま医者になれました。そしたら皆が専門医資格を取得するから自分も一応取っておきましたでは、資格を取るだけの専門者に過ぎない。専門医制度は厚労省の認定でも何でもなく、各学会が勝手に作っている制度である。医師となってからの教育制度がきちんとなされていないのに、机上の試験評価が主だから、患者をまともに診察できなくても、どんなに手術が下手くそでも、何年か医者をやっていれば○×で専門医になれる。皆が取るから取っておくとほとんどの医者が取りたがるが、こんな各学会のお金集めに過ぎない日本の専門医制度に何の意味があるのかいつも疑問だ。

今では当たり前のようになっている証券のオンライン取引は、松井証券の松井道夫氏が始めたビジネスだが、彼は規制緩和のなかで自ら考え人と違うことを行い成功した。彼は、ある講義のなかで「坐忘」という禅の言葉を紹介している。新しいものを取り入れるために古いものを捨てなくてはいけないという教えだが、古くて悪いことを忘れることなく、それを教えとして新しいものを造り上げていく「温故知新」も大切かも。いつまでも、皆と同じが安全パイという呪縛にかかっておらず、団塊の世代から学ぶべきことは学び、次世代のために、そして安部さんの言う「美しい国、日本」を造るために頑張ろう大人たち。

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